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zoom RSS 「独島は韓国領」と嘯く主体思想研究教授

<<   作成日時 : 2012/08/31 15:15   >>

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歴史学者の内藤正中・名誉教授は、島根県との縁が深い人物だ。島根県といえば、独島(日本名:竹島)を「県の区域に属する」と主張し「竹島の日」を制定した県だ。同じく歴史学者だった内藤教授の父親はこの地で生まれ、内藤教授もまた、同県の地域経済史の研究に打ち込み、国立島根大学の教授を務めた。同大は業績を認め、名誉教授の称号を授与した。そんな内藤教授が故郷に背を向けるというのは、人間的に容易なことではなかったはずだ。しかし内藤教授は、独島についての研究を始めて以来「独島は日本の領土ではない」という主張を曲げていない。

2008年に記者と会った内藤教授は「独島に関する史料を研究し『これ(日本の主張)は事実ではない』と確信した」と話した。だが、学問の世界には常に「曲学阿世(きょくがくあせい、学問の真理に背いて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱える)」の誘惑が付きまとう。官学(政府が認めた学問)の伝統が根強い日本では、学界が先頭に立ち、権力の罪悪を美化してきた前歴がある。内藤教授と同じ史料を研究しながらも「竹島は日本の領土」と結論付けた元外務官僚の川上健三氏の研究は、そのような時代の産物といえる。

京都大大学院で経済史を専攻した内藤教授は「京大出身なので、権力に素直に従うことはしない」と語った。京都大は名門国立大学だが、権力に従順なエリートを養成する東京大とは異なり、時の流れに抵抗する学風を守ってきた。そのため、批判的な人文科学の力が強く、また東京大よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出した。

内藤教授は08年、政府から「瑞宝中綬章」という勲章を贈られた。内藤教授は「文部科学省の官僚が(私がどんな主張をしているのかも)知らないで授章を決めたようだ。勲章を授与する天皇陛下は独島についてどんな考えを持っていらっしゃるのか気になる」と笑いながら話した。このようなコメントは当時「日本は天皇から官僚に至るまで、独島について真剣に研究していない」という意味に解釈された。

内藤教授は「東海(日本海)が静かになるほど、独島の価値を強調しないほど、韓国にとって有利になる」と語った。1905年、日本が独島を奪ったのも、東海が戦場になったことで、独島の軍事的な価値が高まったことが直接的な理由だった。韓日関係がいくら変化しても、このような戦略は効力を有している。命をささげる以前に、知恵をもって独島を守ることが最善の道だ。歴代の大統領が独島を訪問しなかった理由を考えてみよう。それは、独島を訪問した大統領よりも深い苦悩があったからだ。(朝鮮日報より抜粋)
島根大学内藤正中名誉教授は主体思想研究家であり、日教組ではチュチェ思想研究会で講演するほどの隠遁学者(神奈川縣在住)だが、この人の論調は鮮人にありがちなこうだろう、こうだったらいいな、そうに違いないと勝手に脳内変換する爺さんで当に、曲学阿世とはこの爺さんのことですネw

記事では独島は韓国領だという根拠が掲載されていませんが、竹島領有問題を取り上げた東京新聞の対論で主張している点をいくつか列記するといかにもという感じで事実誤認を自認しながらも歪曲し、旗色が悪くなると竹島は日本領土ではないが南鮮領土でもないと逃げる答弁をした売国奴です。

例えば、
日本の外務省は「竹島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土」と主張しているが、「十七世紀半ばまでに、幕府が鳥取藩の米子町人に渡海許可を与えることなどを通じて実効支配していたというのが日本政府の主張だが、非常に粗雑な説明に終始しており、固有領土論は根拠が薄いというのが実態だ」
竹島が朝鮮領ならば、江戸時代って長崎を省くと鎖国政策中なので、武士でもない町人に国外渡海許可なんてまずあり得ないでしょ。
では何故幕府が許可したのか、答えは簡単明瞭なことで、竹島は日本領だという認識の下、池田家に許可状を出したにすぎません。
石州浜田の回船問屋八右衛門が、鬱陵島へ渡り密貿易をしていたお上の裁きでは、松島(現在の竹島)へ渡海の名目を以て竹島(現在の鬱陵島)に渡ることは許されないと判決してます。
つまり、竹島に渡海する分には構わないが、朝鮮領である鬱陵島へ出向く行為そのものを咎めています。
内藤教授が主張する池田家の渡航許可状が、交易許可状とは無縁であることがこの一件でも分かります。
池田家文書に依れば幕府より拝領されたと記されているので、鬱陵島は朝鮮領だが竹島は日本領だと認識している証でしょう。
内藤教授はこの拝領について、子孫が先祖の業績を過大評価して『拝領』などの表現を使ったのだろうと言及してますが、江戸商人が徳川家康に地所を拝領した際の記録が現存しており、虚偽とは云えません。

他に、
「日本は1696年に鬱陵島への渡海を禁じた。それは竹島の領有意思否定を意味する。日本政府は『当時幕府が禁じたのは鬱陵島への渡海であって竹島は禁じていない』と言うが、渡海禁止によって竹島に行く者も途絶えた。竹島は朝鮮のものと認識されたとみるべきだ」と意見してますが、それは誤った認識でしかありません。
鬱陵島に渡海する者が増加し、竹島での漁労の様子を撮影した写真も在りますので途絶えたワケではなく、明治政府は幕府政策に倣い鬱陵島開発許可だけは却下してます。

更に内藤教授は、
「1876年に同島の開発申請が出されたのに対し、明治政府は翌年、鬱陵島とほか一島は『本邦とは関係ない』という太政官決定を下した。『ほか一島』は属島である竹島を指すとみられる。つまり、日本は江戸時代と明治時代に二度、竹島が無関係の島だと言ったが、領有意思を主張したことは一度もない」と力説します。
が、これも虚偽であることは明白です。
領有認識が在ったからこそ竹島渡海許可状は出しても鬱陵島には不許可としている事実を鑑みれば、自ずと分かりそうなものではないでしょうか。

この時点で内藤教授は視点を変えて反論します。
「1900年に大韓帝国勅令で鬱陵島を領土と宣言し、属島の『石島』を管轄するとした。石島は竹島のこととみられ、既に領有国は決まっていた」
所謂、大韓帝国勅令第41号を以て領土主張は日本よりも早く発信していると云いたいワケですが、肝心の石島の所在地が曖昧で明記されていませんし、1905年に日本が領土宣言した時、朝鮮は反論すらしてません。
竹島が我が領土である証拠に乏しい朝鮮が、1949年1月7日に対馬領有を宣言し、連合軍占領下の日本に対馬返還を要求した後、1951年7月19日にサンフランシスコ講和条約草案を起草中の米国政府に対し竹島、波浪島を南鮮領とする要望書をラスク長官が却下します。
サンフランシスコ講和条約締結前に業を煮やした南鮮李承晩大統領が、李承晩ラインを一方的に設定した軍事境界線を引くことに依って実行支配の礎を作ってしまったことは、日本政府の汚点でしかありません。

日本漁船乗務員に対する拿捕・殺戮を繰り返し、在留特別許可を引き出した南鮮に日本政府は弱腰外交しか出来ず、今日の在日問題をより複雑化させた元凶が竹島領有問題と云っても過言ではないでしょう。
日韓基本条約によって廃止されたことが合意されたにも拘わらず、実行支配を継続する南鮮に経済援助する謂われはありません。

結局、この新聞社主催の対論に於いて内藤教授は、
「朝鮮側は長年、鬱陵島の無人化を実施した。属島の竹島は見たこともなかったはずで、結局、竹島はだれのものでもなかったのでは。」と逃げました。

教授自身の著書では、南鮮学者の歪曲主張である「于山島が日本の竹島」であると同調し、地図にも書いて有ると著書内で説明しているが、南鮮鬱陵島調査員が作った根拠となる鬱陵島詳細地図で于山島は竹島ではないことが暴露されてしまうお粗末ぶりを呈し、晴れた日には鬱陵島から于山島が見えるような印象操作を行った写真を掲載している。
問題の写真は、400mm長望遠レンズを用いて半年粘って撮影した数枚のうちの貴重な一枚であるという事実を隠蔽したものであることも判明してしまう。

爺さん、あんたは何がしたかったんだ!?

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内 容 ニックネーム/日時
今日は〜^^またブログ覗かせていただきました。よろしくお願いします。 プラダ バッグ http://www.kfsmtv.net/Pradabags.html
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2013/07/06 23:45

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